2011年6月15日水曜日

小島委員のKSVNボランティアバス(かながわ東日本大震災ボランティアステーション事業)参加リポート

サポートセンター小島委員が、宮城県東松島市でのボランティア活動に参加してきました。
その体験談のリポートです。
ここにはかかれていませんが、「疲れた」と言っておられたとのことです。
ご苦労様でした
 

5月24日、25日に神奈川災害ボランティアネットワーク(KSVN)が募集した夜行日帰りの被災地支援ボランティアの5便で宮城県東松島市での支援活動に行ってきました。


 参加者は60人、バス2台で24日の夜9時に横浜を出発、25日午前9時に東松島市災害ボランティア
センター本部に到着しました。すでに多くのボランティアが受付に並んでおり、私たちも手続きした後、歩いて20分ほどの活動場所(貸家住宅)に向いました。


 本部の付近には未入居ですが架設住宅が数多くできていました。

活動場所は、自衛隊機も水没した航空自衛隊松島基地に隣接し、海岸から約2㎞入った所にあります。この辺りは全壊の家屋はないようでしたが、シャッターや窓が壊れた建物は多く見受けられました。そして建物の壁の高さ2m程の位置に津波の跡が残っており、また、付近一帯の樹木は、どれも茶色く立ち枯れていました。


 私たちは、依頼主である家主さんのあいさつ、責任者から指示を受けた後、貸家住宅の掃き清掃と雑巾がけ、津波で堆積した泥の片付け作業を開始しました。スコップを使って 泥をかきあげ、土のう袋に入れ、一輪車を使って道路部分への運び出しなどの作業を分担して行いました。貸家住宅の床下をはがしてみると、津波で押し寄せた泥が基礎の換気口から侵入し、 床下いっぱいに泥が堆積していました。

 防塵マスク、ゴーグルをつけて暑い日中の5時間、大汗をかいての大変しんどい作業でしたが、参加者の半数を占める女性陣はわき目も振らず、黙々と作業をし、心底ビックリさせられました。
作業を終えて、依頼主からお話しでは「まさか津波が来るとは思わず、すぐに逃げなかったが、「津波だ!」「津波だ!」と 叫ぶ声に必死で逃げた。」「航空自衛隊松島基地をはじめ、付近一帯が津波で水没した。」 「家族を捜して、数日間、避難所を探し回った。」「津波でシャッターが壊れたすぐ近くのマーケットは盗難があった。」「近くのゴルフ練習場のネットには津波で多数の死体がはり付いていた。」とのことでした。


 帰路は、午後3時半過ぎに現地を出発し、予定時間(午後11時)より早い午後9時半ごろ、横浜駅に到着、解散となりました。

往復の高速道路では、各県の警察車両や自衛隊車両が列をなして走行していました。 
 今回、夜行日帰りということで時間的制約から、海岸付近の被災状況は見学できなかったのが心残りでした。7月始めには岩手県大船渡市に2泊3日(現地1泊)の支援活動に行く予定でおります。

※ 大和市が被災地支援ボランティアを募集しています。7月・8月・9月に各4回、いずれも金の夜出発で日の早朝解散という日程で、行きも帰りも車中泊です。(参加費無料・食費、飲物各自持参)7月分は、6月20日から先着順で市民以外も受け付けるとのことです(詳細は、大和市のホームページ)

                                                                                                                
小島 正